2014年4月21日月曜日

言った=相手に伝わったではない

例えば、自分が食べるごはんを作って「作ってあげた」とは言いません。
でも、他人のごはんとなると「作ってあげた」になってしまいます。
自分と人との境をまたぐ時、その行為は「誰かのため」という意味が宿ります。

でも、本当は、すべての行為が「ひいては自分のため」にならないといけないと思っています。
そこを感じられなくなってしまうと、その役に疲れてしまう。

ここに愚痴を書くつもりはありませんが、(愚痴になっていたらごめんなさい。^^;)
Larimarにも時々、お客さまからクレームが届きます。
ネットショップがゆえ、顔が見えない上に文字でのやりとりのため、
言葉遣いは強気に感じ取れることがあります。私の主観ですが。

私は、BlogやInstagramを更新することが日課になっていますが、
「更新をする時間があるのなら、早く作って送るべきじゃないですか?」
というお言葉をいただいたこともあります。

Larimarは、限られた人員で、限られた時間の中で業務を行っています。
しかし、そんなことはお客さまからしたら関係ないんですよね。

私はつい最近まで、
「がんばっているのに、なんで分かってもらえないんだろう?」
と思っていました。
勝手に被害者意識を持っていたんです。
けどそれって、相手に対して
「もっと分かってよ!」
「もっと○○してよ!」
という要求とも捉えられるから、
それはただのわがままなんじゃ?と思ったんです。
他でもないLarimarを選んでお買い物をしてくださっているのに、
そんな感情を持つこと自体おかしいなって、すごく反省しました。

この事だけではなくて、すべてにおいて、
結局は、周りに起きてくるいろいろな問題を生み出しているのは
私自身なんだ、と自覚をして責任を負うべきなのだと思います。

人に思いやってもらえたから自分も思いやるというは、
本当の思いやりではありません。
仕事も、「やってあげている」「やらされてる」と思った瞬間に労働になって
疲れるだけの仕事になってしまいます。

相手にしっかり伝えれば、ちゃんと分かってもらえるということも分かりました。
言った=相手に伝わったではないということも。
相手がちゃんと解るまで伝えて、
はじめて伝わったって言えるのだと思います。

至らないことがたくさんあって申し訳ありませんが、
お客さまにできるだけ不安を与えないように、
そして、できるだけ早くお届けできるよう、対策・対応を考えていきますので、
よろしくお願いします。m(_ _)m


最後に、注文の備考欄やInstagramのコメントに、
「急ぎではないのでえりかさんのペースで大丈夫です」とか、
「届くのを楽しみにしています」
というあたたかい言葉をかけてくださる方々。
優しいお言葉に感動しています。
本当にありがとうございます♡


erica